能 登 半 島


足の向くまま気の向くままに、カーナビまかせで能登半島を旅した。

平成20年5月22〜27日





新穂高 (5月22日 晴)
 前夜遅く調布インターで中央高速道に入り、深夜1時過ぎに双葉SAに着いた。今回の旅では車中泊をする予定なので、それなりの準備をしてきた。先ず窓に目隠し用のシートを張り後部座席を倒して車内をフラットにして就寝。目が覚めたのは翌朝6時半だった。
 中央高速を松本インターで降りて北アルプスの岐阜県側の登山基地 新穂高温泉へ向かう。
 新穂高からロープウェイでアッという間に標高2156mの西穂高口駅に到着。昔登った奥穂高岳から槍ヶ岳への稜線、笠ヶ岳や双六岳などの峰々が手にとるように眺められる。この時期の山々はまだ冬山の様相で、真っ白な雪をつけている。

 新穂高から神岡へ向かう途中、栃尾温泉街の町はずれの道路わきに「荒神の湯」という露天の温泉があった。入り口に小さな箱があり、協力金200円を入れれば誰でも入れる。なかなかに湯加減でありました。
 この日は、道の駅「宙(スカイ)ドーム・神岡」で車中泊  走行距離 339km


五箇山の合掌造り  (5月23日 晴)
 早朝、道の駅のベンチに腰掛けて缶コーヒーを飲んでいると、朝の散歩だという老人が話しかけてきた。彼は若い頃ここの三井鉱山で鉱夫として働いていたとのことだ。鉱山での仕事はきつかったが、今こうやって年金暮らしが出来るのは三井のお陰だと言って、昔を懐かしんでいる。そして、ここは昔神岡城があった所であり、天守閣が再建されているから寄っていくようにと勧めてくれた。折角の勧めなので寄ってみたが、朝早すぎたので未だ開門していなかった。
神岡からは天生峠を越えて白川郷経由で五箇山へ向かう。五箇山の合掌造りの集落は白川郷(岐阜県白川村)の集落とともに1995年にユネスコの世界遺産に登録されている。
 五箇山には相倉と菅沼の集落にそれぞれ20棟と9棟の合掌造りの建物が建っている。約100〜200年前に建てられたものが多いが、最も古いものは400年前に建てられたといわれている。屋根の勾配は60度と急で、断面は正三角形に近く雪が滑り落ちやすい構造になっている。

 五箇山からは能登半島を目指し、まず富山湾に面した氷見漁港へ行くことにしてカーナビをセットした。カーナビは高岡を経由するルートを選択してくれた。
 富山平野を見下ろす高台で一休みしていると、車から降りてきた旅行中と思われる青年に「ハロー」と声をかけられた。「ハロー」と応じたがよく見ると日本人とは雰囲気の2人の青年は台湾からの旅行者だった。この後、台湾や中国からの旅行者をずいぶん見かけた。
 
この後、氷見・羽咋を通って日本海側の志賀町にある道の駅「ころ柿の里しか」に5時半に着き、今夜はここに泊まることにする。ここの道の駅は温泉がありレストランもあるので、車中泊には打ってつけの所だ。
 ここでは、沖縄まで50ccのバイクで旅する若者、ワンボックスカーで車中泊しながら日本各地の風景写真を撮っている福島県のプロカメラマンと旅談義。いろいろ参考になることを教えてもらった。
この日の走行距離  255km

 
総持寺祖院  (5月24日 曇後小雨)
 能登金剛は松本清張の小説「ゼロの焦点」に登場する断崖絶壁が連続する観光名所である。特に「ヤセの断崖」は日本海に迫り出した絶壁で映画やテレビドラマに登場する所。この断崖を写真に撮りたくて望遠レンズを持ってきたのだが、昨年の能登半島沖地震で地盤が悪くなり立ち入り禁止になっていた。

 能登金剛関野鼻から20分ほど走った門前町は、平成の大合併で輪島市に合併されたが、ここには大本山総持寺祖院がある。曹洞宗総持寺は約700年前にこの地で開創され、全国に末寺1万6千寺を擁し隆盛を極めたが、明治31年に火災により七堂伽藍の大部分を焼失した。これを機に総持寺は布教の中心を横浜市鶴見に移し、当地は祖院として堂宇が再建された。2万坪の境内には消失を免れた伝燈院、慈雲閣などのほかに七堂伽藍が再建され、曹洞宗大本山の面影を偲ばせている。

 門前町から穴水、恋路海岸を経て能登半島の再突端 禄剛崎燈台に着いた。燈台下の芝生に東京や佐渡島の方向を示す表示盤があり、真西は平壌の方向を示している。日本海のこの海域は北朝鮮の工作船が出没していた海であることを思い出した。小浜・柏崎・新潟・佐渡島いずれもここから近い所である。

 禄剛崎から曽々木海岸を通って西へ30キロほど走った所が輪島市白米地区。日本海に面した急傾斜地に大小1004枚の田が連なっている「白米の千枚田」がある。小さなものはわずか1メートル四方。農家の高齢化が懸念され、オーナー制度などの対策が進められている。今年も5月上旬に田植えが行われたが、近隣の小学校の生徒が植えた田には学校名とクラス名が書かれた立て札が立っている。昨年は小泉元首相が田植えをしたそうで、その名残りの立て札が立っていた。
 
 この日は白米の千枚田から10キロ程戻って、曽々木海岸に面した道の駅「すず塩田村」で車中泊。ここの駅の食堂や売店は夕方5時で閉店してしまっていたので、駐車場の東屋でレトルトのカレーを作って夕食にする。  この日の走行距離  202km


輪島朝市  (5月25日 小雨のち曇)
 朝食を済ませてから小雨の降る中を出発する。
 その雨も輪島の市街地に着く頃には雨は霧雨になっていた。朝市の写真を撮りたかったのだが出店が少なく人出も少ない。天候のためかと思っていたら、毎月10日と25日は原則休みなのだが都合のつく人は出店するように申し合わせているとのことだ。野菜や魚介類、干物を売る店が多いが、輪島塗や民芸品を並べている店もあって観光客相手の店も多いようだ。

 輪島から1時間ほど走って能登島へ行き、最近出来た立ち寄りの温泉「島の湯」に浸かった。ここの露天風呂は温泉に浸かりながら富山湾を眺められ、晴れた日には湾の上に立山連峰を眺められるのだが、この日は生憎の曇り空でそれは叶わなかった。
 ここで、金沢に住んでいる大学時代の友人に電話をかけてみたら、是非。会いたいと言うので石川・富山県境の倶利伽羅峠の道の駅で食事を共にした。この友人とは、彼が東京出張で上京した時以来であり、大変懐かしかった。金沢の自宅へ泊るようにと誘われたが、それは辞して宇奈月へ向かった。
 
 この日は、宇奈月温泉に街にほど近い所にある道の駅「うなづき」でとまることにする。この駅には「宇奈月麦酒館」が併設されていて、黒部川の伏流水と地元産の二条大麦で作る宇奈月ビールの生産工程を見学した。館内にはレストランがあるので、この日の夕食は宇奈月ビールを飲みながらピザでの夕食となった。    走行距離  250km


黒部峡谷鉄道  (5月26日 晴)
 黒部峡谷を挟むようにして聳えている立山連峰と後立山連峰は登っているが、この峡谷へ来るのは初めてだ。前々からこの峡谷を走るトロッコ電車に乗ってみたかった。

 宇奈月駅近くの駐車場に車を停めて朝一番のトロッコ電車に乗った。電車は峡谷の縁をを縫うようにして谷を見下ろしながら進んで行く。新緑が綺麗だ。秋の紅葉も素晴らしいだろうと思いつつ、こんな難所によく鉄道を造ったものだと感心しているうちに終点のけやき平に着いた。欅平から30分ほど歩いた祖母谷温泉に浸かりたかったのだが、雪解けのこの時期は落石の危険があるためこの温泉への道は通行止めになっている。
 時おり工事用の車や軽トラックと行き交うが、どの車もナンバープレートが付いていない。ここは道路交通法の適用区域外であり自動車税の課税対象外の地域ということなのか。欅平駅に戻ってから駅員に訊いてみたら、宇奈月から欅平への道路はないので軽トラック等の小さな車はトロッコに載せてくるが、大きな建設重機等の車は宇奈月で分解してトロッコで運び欅平で組み立てているとのことだ。

 宇奈月に戻ってから黒部市で国道8号線北国街道に入り、昔は街道一の難所だった「親知らず子知らず」を通る。途中の展望台で眺めると、日本海に迫り出した断崖絶壁が続くこの道は今では難なく通れるが昔は親や子にかまっていられないほどに歩くのに難儀した街道だったとのこと。
 糸魚川で北国街道と分かれて千石街道とも呼ばれる糸魚川街道を姫川沿いに小谷村へ向かう。小谷村は新潟県と長野県との県境にある村で、ここには道の駅「小谷(おたり)」がある。ここが今回の旅の最後の車中泊になる。ここには小谷温泉の湯が引かれた温泉がある。レストランが併設されているので山菜やイワナの塩焼きで小谷村の地酒を飲みながら今回の車旅を振り返った。 走行距離 84km

奥裾花  (5月27日 晴)
 この朝出発前に、外国人のサイクリストに会った。Good Morning と声を掛けたらたどたどしい日本語で「おひょうございます」と応えた。 アメリカから来た若者で、これから北海道まで走って行くと言い、自転車にはテントなどのキャンプ用具が入った大きなバッグが付いている。
 
 小谷村から白馬村に入ると視界が開けて北アルプスがよく見える。白馬岳から五竜岳・鹿島槍ヶ岳に続く峰々は未だ真っ白だ。白馬村からは、水芭蕉の群生を見たいので鬼無里村の奥裾花へ向かった。盛りの時期を少し過ぎていたので、咲き残った水芭蕉は可憐とは言いがたい大きな花ばかりだった。でも、ブナの大木の新緑がとても綺麗でした。

 この後、長野インターから高速道路に入り上信越道・関越道通って川崎に戻り、6日間の車旅を終えました。
  この日の走行距離 345km    6日間の走行距離 1475km


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